固定残業代とみなし残業代、実は同じもの?

みなし残業代の正体とは?

「みなし残業」という言葉は、私たちの日常会話や求人情報などで頻繁に耳にしますが、実は法律上で明確に定義された用語ではありません。これは、実態としては「固定残業代制度」の一種として運用されることがほとんどです。

具体的には、実際の残業時間にかかわらず、あらかじめ定められた時間分の残業代を基本給に含めて支払う仕組みを指します。たとえば、「月給25万円(うち20時間分のみなし残業代3万円を含む)」といった表記は、この「みなし残業」の考え方に基づいています。

この制度のポイントは、たとえ定められた時間を超えて残業した場合であっても、一定の時間までは追加の残業代が支払われないという点にあります。しかし、それは決して無限に残業して良いという意味ではありません。この後の項目で詳しく解説しますが、固定された時間を超えた場合には、企業は追加で残業代を支払う義務があります。

このように、「みなし残業」は一般的に使われる表現ですが、その法的根拠や正しい運用を理解する上では、より正確な「固定残業代」という言葉で捉えることが重要になります。あいまいな表現が、後に労使間のトラブルに発展するケースも少なくありません。

法律が認める「固定残業代」の仕組み

一方で、「固定残業代」は、労働基準法で明確に認められている制度です。これは、あらかじめ毎月の給与に一定時間分の残業代を組み込んで支払う仕組みであり、その運用のルールが法律によって定められています。

固定残業代制度が適法とされるためには、いくつかの厳格な要件を満たす必要があります。最も重要なのは、基本給と固定残業代が明確に区別されていることです。労働契約書や就業規則には、固定残業代の金額、対象となる残業時間数(例:月45時間)、そして固定残業時間を超えた場合の追加支給について具体的に明記されなければなりません。

この「超過分の追加支給」が、固定残業代制度の肝となります。つまり、固定された残業時間を超えて労働が発生した場合は、企業は必ずその超過時間分の残業代を別途支払う義務があるのです。この義務を怠ると、制度自体が違法とみなされる可能性があります。

また、固定残業代として設定された金額が、法定労働時間を超えて労働した場合の割増賃金(通常は1.25倍以上)に満たない場合も違法となります。例えば、固定残業代を時給換算した際に、通常の賃金より低い金額になっていると問題が生じます。企業は、この制度を導入するにあたり、労働者の権利を侵害しないよう細心の注意を払う必要があります。

なぜ呼び方が二通りあるのか?

「固定残業代」と「みなし残業代」という二つの呼び方が存在する背景には、それぞれの言葉の持つニュアンスと、法的な厳密さの違いが関係しています。

前述の通り、「みなし残業」は、特定の残業時間を「みなし」て給与に含めるという、比較的わかりやすく日常的に使われる表現です。企業が求人票などで総支給額を魅力的に見せるために使うことも少なくありません。例えば、基本給だけでは見劣りするが、みなし残業代を含めることで月収が高く見える、といったケースが挙げられます。

しかし、その手軽さゆえに、運用があいまいになりやすいという側面も持ち合わせています。労働条件通知書や契約書において「みなし残業」とだけ記載され、具体的な時間数や金額、超過した場合の扱いが不明確な場合、労働者は自身の権利を十分に理解できず、トラブルに発展しやすくなります。

一方で、「固定残業代」は、労働基準法に基づいて運用されるべき制度を指す、より正確で法的な用語です。この言葉を用いることで、企業は制度の透明性を高め、労働者も自身の労働条件を正しく把握しやすくなります。求人票で「みなし残業」と記載する場合でも、具体的な時間数や金額、そして制度の説明を添えることで、応募者に誤解を与えないよう配慮することが推奨されます。法的な正確性と適正な運用を担保するためには、「固定残業代」として制度を設計し、明記することが極めて重要なのです。

なぜ固定残業代・みなし残業代は存在するのか

企業側が制度を導入する背景

企業が固定残業代(みなし残業代)制度を導入する背景には、主に経営上のメリットと効率化の側面が挙げられます。まず大きな利点として、人件費の固定化があります。毎月の残業代が一定額として予め組み込まれるため、突発的な残業が発生しても、急激な人件費の増加を抑え、予算計画が立てやすくなります。

また、給与計算の簡便化も重要なポイントです。従業員ごとの残業時間を細かく計算し、その都度残業代を支払う手間が省けるため、経理部門の業務負担軽減につながります。特に小規模な企業では、専任の給与計算担当者がいないケースも多く、この簡便さは大きな魅力となります。

さらに、求人活動において、総支給額を高く見せやすいという側面も無視できません。基本給のみでは競合他社に比べて魅力に欠ける場合でも、固定残業代を含めることで、月給〇〇万円といった形で提示でき、求職者へのアピール力を高めることができます。厚生労働省の調査では、企業規模1~9人の企業で「みなし残業」を導入している割合が58.1%と高く、小規模企業ほど制度を活用して人材確保を行っている傾向が見られます。

これらのメリットは、特に経営資源が限られる中小企業にとって、非常に魅力的な経営戦略の一つとなり得ます。しかし、その運用には厳格なルールがあり、これらを遵守しなければ違法となるリスクも孕んでいます。

従業員側にとってのメリット・デメリット

固定残業代制度は、企業だけでなく従業員にも影響を及ぼします。従業員側のメリットとしては、まず毎月の給与が安定する点が挙げられます。残業の有無にかかわらず、固定された残業代が支払われるため、収入の見通しが立てやすくなります。特に、業務量が少ない月でも一定の残業代が保証されることは、安心感につながるかもしれません。

しかし、デメリットも少なくありません。最も指摘されるのは、「実労働時間と給与が見合わないと感じる」という不満です。エン・ジャパンの調査でも、従業員は「長時間労働になりやすい」「実労働時間と給与が見合わない」といった点を「みなし残業」のデメリットとして挙げています。固定時間分の残業をしても、それ以上働いても給与が変わらないとなれば、労働意欲の低下を招く恐れがあります。

また、管理体制が不十分な企業では、固定残業時間を超えた分の残業代が支払われない、いわゆる「サービス残業」が発生するリスクも指摘されています。これにより、従業員は不当な労働を強いられる可能性があり、健康問題やモチベーション低下、最終的には離職につながることもあります。

制度の透明性が低いと、従業員は自身がどれだけ働けば、追加の残業代が発生するのかを把握しづらくなります。そのため、固定残業代制度が導入されている企業で働く際には、自身の労働条件を十分に理解し、正しく労働時間を管理する意識を持つことが非常に重要です。

社会情勢と労働時間の変化

固定残業代制度の存在は、単に企業の都合や従業員の感情だけでなく、現代の社会情勢や労働時間の変化とも深く関連しています。近年、労働生産性の向上長時間労働の抑制は、日本社会全体の重要な課題として認識されています。

このような背景から、時間ではなく成果で評価する新たな労働時間制度の議論も活発化しています。例えば、専門業務型裁量労働制や企画業務型裁量労働制といった制度がそれにあたりますが、これらも運用面の難しさから十分に活用されていないのが現状です。固定残業代制度は、こうした新しい制度への移行が困難な中で、企業が人件費をコントロールしつつ、一定の残業を許容する過渡期の仕組みとして機能している側面があります。

また、テレワークの普及も労働時間管理に新たな課題をもたらしています。自宅での労働時間が見えにくくなる中で、固定残業代制度は、一見するとシンプルな解決策に見えるかもしれません。しかし、適切な労働時間管理やコミュニケーションがなければ、かえって長時間労働を助長したり、従業員が「見えない残業」を強いられたりするリスクも増大します。

社会全体で働き方改革が進む中、固定残業代制度は、そのメリット・デメリットを再評価し、より透明性高く、労働者の健康と権利が守られる形で運用されることが強く求められています。単に制度があるからではなく、その存在意義と社会の変化に合わせた見直しが常に必要とされています。

固定残業代・みなし残業代のメリット・デメリット

企業にとっての明確な利点

固定残業代制度は、企業にとっていくつかの明確な利点をもたらします。最も大きいのは、人件費の予算化が容易になる点です。毎月の給与に一定額の残業代が組み込まれているため、突発的な残業時間の変動があったとしても、人件費の総額が大きく変動するリスクを低減できます。これにより、経営計画や事業計画の策定がより安定したものになります。

次に、給与計算処理の簡素化が挙げられます。従業員一人ひとりの残業時間を毎月集計し、法定の割増賃金率に基づいて計算する手間が省けるため、経理や人事部門の事務作業を大幅に削減できます。特に、残業が頻繁に発生する職種や部署を持つ企業にとっては、この効率化は大きなメリットとなります。

さらに、求人における賃金提示の魅力度向上も重要な利点です。例えば、基本給が20万円の場合でも、固定残業代5万円(30時間相当)を含めることで、「月収25万円」として募集することが可能になります。これにより、求職者に対してより高い賃金を提示しているように見せることができ、人材確保競争において優位に立つ一助となります。厚生労働省の調査からも、特に小規模な企業ほど「みなし残業」制度を採用する傾向があることが示されており、これは人材獲得戦略の一環として機能していると考えられます。

これらの利点は、特に中小企業やスタートアップ企業が限られたリソースの中で事業を拡大していく上で、非常に有効な手段となり得ます。

従業員が感じる不満と潜在的なリスク

企業にとって多くのメリットがある一方で、従業員側から見た固定残業代制度には、いくつかの不満点や潜在的なリスクが存在します。最も頻繁に挙げられるのは、実労働時間と賃金のギャップです。固定残業時間まで働いても、それ以上働いても、給与は変わらないため、従業員は「働いた分だけ報われない」と感じやすくなります。これにより、モチベーションの低下や不公平感が生じ、最終的に企業のエンゲージメント低下につながる可能性があります。

また、長時間労働につながりやすいというリスクも指摘されています。固定残業代が支給されることで、企業側が残業を削減しようというインセンティブが働きにくくなる場合があります。また、従業員側も「どうせ残業代は固定されているから」という心理が働き、定時退社への意識が希薄になることも考えられます。エン・ジャパンの調査では、従業員が「みなし残業」のデメリットとして「長時間労働になりやすい」「実労働時間と給与が見合わない」ことを多く挙げています。

さらに深刻なのが、管理体制が不十分な企業で発生しうる「サービス残業」のリスクです。固定残業時間を超えて労働したにもかかわらず、その分の追加残業代が支払われないというケースは、違法行為であり、従業員の健康や生活に深刻な影響を及ぼします。これは、企業の信頼性を著しく損ない、労働基準監督署からの是正勧告や訴訟問題に発展する可能性を秘めています。

従業員の健康や労働意欲を維持するためには、制度の透明性を確保し、適正な運用が不可欠です。

制度運用における双方の責任

固定残業代制度を健全に運用するためには、企業と従業員双方にそれぞれの責任があります。企業側は、制度の導入にあたり、適正な運用と超過分の支払い義務を果たすことが最も重要です。具体的には、労働契約書や就業規則に固定残業代の内訳、時間数、超過分の扱いを明確に記載し、従業員への説明を徹底する必要があります。また、従業員の労働時間を正確に管理し、固定時間を超えた場合は、遅滞なく追加の残業代を支払う体制を整えなければなりません。

この際、固定残業代の金額が、法定労働時間を超えて労働した場合の割増賃金率(1.25倍以上)を満たしているかどうかも厳しくチェックする必要があります。単純な時給換算で設定すると、法定割増賃金を下回るリスクがあるため、専門家と相談しながら慎重に計算を行うべきです。

一方で、従業員側にも、自身の労働時間管理に対する意識が求められます。自分の労働条件を正確に理解し、日々の労働時間を記録する習慣をつけることが重要です。固定残業時間を超えて働いた場合は、その事実を企業に報告し、追加の残業代を請求する権利があることを認識しておく必要があります。不明な点があれば、企業の人事担当者や労働組合、あるいは労働基準監督署に相談することも視野に入れるべきです。

企業と従業員がそれぞれの責任を果たすことで、固定残業代制度は、双方にとってメリットのある、透明性の高い制度として機能することができます。制度の透明性と信頼性の確保が、健全な労使関係の構築に繋がるのです。

固定残業代・みなし残業代を正しく理解するための注意点

トラブルを防ぐための契約書・就業規則の明記

固定残業代制度を導入する企業、あるいはその制度下で働く従業員にとって、最も重要な注意点の一つが、労働契約書や就業規則への明確な記載です。これが曖昧だと、後に労使間の大きなトラブルに発展する可能性が高まります。

具体的には、以下の項目が明確に記載されている必要があります。まず、基本給と固定残業代の金額の内訳が明確に示されていること。例えば、「基本給20万円、固定残業代5万円」のように、それぞれがいくらであるかを明確に区別して記載します。次に、固定残業代が何時間分の残業に相当するのか(例:月30時間分)を明記すること。これにより、従業員はどれくらいの残業時間までが固定残業代に含まれるのかを把握できます。

さらに肝心なのが、固定残業時間を超えて労働が発生した場合に、その超過分の残業代が追加で支払われることを明記する点です。この記述がない場合、従業員は超過分の残業代が支払われないと誤解し、いわゆる「サービス残業」に繋がる可能性があります。

求人票においても、「みなし残業」と記載する場合は、具体的な時間数や金額、そして制度の説明を添えることが推奨されます。これにより、求職者が入社後に「話が違う」と感じることを防ぎ、信頼関係を築く第一歩となります。これらの情報を曖昧にすると、違法と判断されるリスクが高まるだけでなく、企業の信頼性も損なわれるため、徹底した情報開示が求められます。

「違法」となるケースとそのリスク

固定残業代制度は、正しく運用されれば適法な制度ですが、一歩間違えれば「違法」と判断されるリスクを常に孕んでいます。違法となる主なケースを理解し、そのリスクを避けることが重要です。

一つ目の違法ケースは、固定残業代が、実際には残業代としての意味合いを持たず、基本給の一部として扱われている場合です。例えば、残業の有無にかかわらず一律に支払われる手当が、名目上だけ「固定残業代」とされているケースなどです。これは、固定残業代として支払われた金額が、基本給と明確に区別されておらず、労働者が「自分の基本給はいくらで、残業代はいくらか」を認識できない場合に問題となります。

二つ目は、最も深刻な問題となりやすい、固定残業時間を超えた分の残業代が支払われていない場合です。これは「サービス残業」の温床となり、労働基準法違反にあたります。企業は、固定残業時間を超えた労働時間が発生した場合、その分の賃金を法定割増率で計算し、必ず支払う義務があります。これを怠ると、労働基準監督署からの是正勧告、未払い賃金の支払い命令、さらには訴訟に発展する可能性があり、企業の評判を著しく低下させることになります。

三つ目は、固定残業代の金額が、法定労働時間を超えて労働した場合の割増賃金に満たない場合です。固定残業代を時給換算した際に、通常の賃金に法定割増率(時間外労働は1.25倍以上)を掛けた金額を下回ってしまうケースです。例えば、月給20万円、固定残業代3万円(20時間分)の場合、時給が1250円とすると、20時間残業した場合の残業代は1250円 × 1.25 × 20時間 = 31,250円となります。この場合、3万円では不足しており、不足分が未払いとなります。

これらの違法行為は、企業にとって非常に大きなリスクとなるため、制度の運用には細心の注意を払い、常に法的な要件を満たしているかを確認することが不可欠です。

残業代の正しい計算方法と割増賃金

固定残業代制度を正しく理解するためには、残業代の基本的な計算方法と法定割増賃金についても把握しておく必要があります。特に、固定残業代を設定する際には、この知識が不可欠です。

まず、残業代は「1時間あたりの賃金」に「残業時間」と「法定割増賃金率」を掛けて算出されます。この「1時間あたりの賃金」を正確に算出することが重要です。固定残業代が給与に含まれている場合、基本給と固定残業代を区別して考えなければなりません。多くのケースでは、基本給から1時間あたりの賃金を算出し、それに固定残業代に相当する時間を乗じて、その金額が法定割増賃金を下回らないように調整する必要があります。

法定割増賃金率は、労働基準法によって定められており、主なものは以下の通りです。

  • 時間外労働(法定労働時間(1日8時間・週40時間)を超えた労働): 25%以上
  • 深夜労働(午後10時~午前5時): 25%以上
  • 法定休日労働(週1回の法定休日の労働): 35%以上
  • 時間外労働が月60時間を超える場合: 超過分は50%以上(中小企業は2023年4月から適用)

固定残業代を設定する際、例えば「月30時間分の残業代」として計算する場合、その30時間分に上記割増率を適用した金額を下回らないように設定しなければなりません。単純な時給換算で固定残業代を設定すると、この法定割増賃金率を満たせないリスクがあるため、計算には十分な注意が必要です。

例えば、基本給から算出した1時間あたりの賃金が1,000円の場合、時間外労働の割増率は1.25倍なので、1時間あたりの残業代は1,250円となります。もし月20時間分の固定残業代を設定するなら、少なくとも1,250円 × 20時間 = 25,000円以上の固定残業代を支払う必要があります。この計算を怠ると、違法と判断される可能性があるため、企業は専門家の助言を得るなどして、正確な計算と設定を行うべきです。

「固定残業代」は日本独自の制度?

国際的な労働時間制度の比較

「固定残業代」や「みなし残業代」という制度は、日本の労働慣行の中で発展してきた側面が強く、世界的に見るとその存在意義や運用方法は多様です。多くの国では、時間外労働に対しては、法定割増賃金率に基づいて追加の賃金を支払うのが一般的です。例えば、アメリカの公正労働基準法(FLSA)では、週40時間を超える労働に対しては、通常賃金の1.5倍以上の時間外手当を支払うことが義務付けられています。

しかし、特定の職種や役職に対しては、残業代の適用外とする「免除(exempt)」規定を設けている国も多く存在します。これは、管理職や専門職など、時間管理よりも成果が重視される職務を対象とするもので、日本の「管理監督者」制度や「裁量労働制」と似た考え方です。これらの職種では、残業時間に関わらず固定給が支払われるため、一見すると日本の固定残業代と似ているように思えるかもしれません。

一方で、多くのヨーロッパ諸国では、長時間労働を抑制するための厳格な労働時間規制が敷かれており、残業自体を極力発生させない文化が根付いています。労働時間の上限が定められ、それを超える労働には非常に高い割増賃金が適用されるか、そもそも残業が認められないケースもあります。このような国では、日本のような「固定残業代」という形で残業を給与に含める制度はあまり見られません。

したがって、日本の固定残業代制度は、世界的に見て「残業代を前払いする」というユニークな特性を持っていると言えるでしょう。

日本における「固定残業代」制度の背景

日本で固定残業代制度が広く普及してきた背景には、日本の独特な労働慣行や社会経済的状況が深く関係しています。一つには、長時間労働が常態化していた時代の名残という側面があります。かつての日本では、「残業は当たり前」「滅私奉公」といった考え方が根強く、企業も従業員も残業に対してそれほどシビアではなかった時期がありました。その中で、残業代を給与に組み込むことで、企業は給与計算の手間を省き、従業員は安定した収入を得られるという認識が広がりました。

また、企業が人件費を抑制しつつ、総支給額を上げる手段としての利用も大きな要因です。特に中小企業やベンチャー企業では、高い基本給を提示することが難しい場合があります。そのような状況で、固定残業代を含めることで、求人時に魅力的な月収を提示し、優秀な人材を確保しようとするインセンティブが働きました。厚生労働省の調査で、小規模企業における「みなし残業」の導入率が58.1%と高いのは、この背景を裏付けるものです。

さらに、日本の労働市場における終身雇用や年功序列といった雇用慣行も影響を与えています。従業員の定着を促すために、一見して高額な月給を提示することで、将来的なキャリアパスへの期待を持たせる効果もあったかもしれません。しかし、その一方で、固定残業代制度が「サービス残業」の温床となりやすいという負の側面も持ち合わせていることも、近年は問題視されています。

これらの背景から、固定残業代制度は、日本の雇用慣行と経済状況の中で独自の発展を遂げてきたと言えるでしょう。

今後の労働時間制度の展望

現代において、労働生産性の向上と長時間労働の抑制は、日本の喫緊の課題です。このような社会情勢の変化の中で、固定残業代制度を含む労働時間制度は、今後も大きな見直しが求められるでしょう。

一つの大きな流れは、時間ではなく成果で評価する制度への移行です。すでに、フレックスタイム制、裁量労働制、さらにはジョブ型雇用への関心が高まっています。これらの制度は、労働者が自身の裁量で効率的に業務を進め、成果を出すことで評価されるため、固定残業代制度のような時間に対する報酬の考え方とは一線を画します。しかし、参考情報にもあるように、「みなし労働時間制」や「業績評価制度」なども、運用面の難しさから十分に活用されていないのが実情です。

また、新型コロナウイルス感染症のパンデミックをきっかけに普及したテレワークも、労働時間管理に新たな視点をもたらしています。場所や時間にとらわれない働き方が一般化する中で、従来の「出社している時間=労働時間」という概念は薄れつつあります。このような状況下では、固定残業代制度が実態に合わなくなるケースも出てくるかもしれません。

企業は、従業員のエンゲージメントを高め、持続可能な働き方を実現するために、固定残業代制度のメリット・デメリットを再評価し、より透明性が高く、公平な制度設計へと移行していく必要があります。労働基準法改正の動きや社会の要請に応えながら、柔軟で多様な働き方に対応できる制度へと進化していくことが、今後の日本の労働時間制度の大きな展望となるでしょう。