「雇用契約書がない!」と慌てている方もいるかもしれませんが、まずは落ち着いて状況を把握しましょう。雇用契約書は、雇用主と労働者の間で交わされる労働条件に関する合意を証明する重要な書類です。

しかし、法的な作成義務がない場合もあります。後々のトラブルを防ぐためにも、雇用契約書がない場合や、内容に不安がある場合に確認すべきこと、そして、パート・正社員それぞれで注意すべき点について解説します。

雇用契約書がなくても法的に問題ないケースとは?

口頭での合意も法的には有効

雇用契約は、必ずしも書面で交わされる必要はありません。実は、口頭での合意だけでも法的には雇用契約が成立します。

例えば、「明日から〇〇さんの店舗で週3日、時給1200円で働いてね」といったやり取りでも、両者の間で合意があれば契約は成立したとみなされます。しかし、書面がないことで、後になって「言った」「言わない」の水掛け論になり、労働条件に関する認識のずれが生じやすくなるのが現実です。

そのため、トラブルを未然に防ぎ、双方の権利と義務を明確にするためには、書面での確認が非常に重要となります。特に、日本の法律では、雇用契約書は作成義務がない一方で、後述する「労働条件通知書」の交付は義務付けられています。

労働条件通知書が交付されている場合

雇用契約書がない場合でも、雇用主から「労働条件通知書」が適切に交付されていれば、直ちに法的に問題があるわけではありません。

労働条件通知書は、雇用主が労働者に対して労働条件を通知する義務のある書類であり、法律でその交付が義務付けられています。この通知書には、賃金、労働時間、業務内容、就業場所、契約期間など、労働に関する基本的な条件が明記されています。

特に、2024年4月からは、就業場所や業務内容の変更範囲、更新上限の有無と内容、無期転換申込機会なども明示することが義務付けられました。この書類が手元にあれば、最低限の労働条件は書面で確認できていることになります。したがって、雇用契約書がなくても、労働条件通知書の内容をしっかりと確認することが大切です。

雇用契約書と労働条件通知書の役割の違い

雇用契約書と労働条件通知書は混同されがちですが、その役割と法的な義務には明確な違いがあります。

  • 雇用契約書: 雇用主と労働者の双方が内容に合意し、署名・捺印することで契約が成立する書類です。労使間の合意内容を証明するものであり、法的な作成義務はありません。
  • 労働条件通知書: 雇用主が労働者に対して一方的に労働条件を通知する書類です。労働基準法によって交付が義務付けられており、労働者が安心して働けるよう、基本的な労働条件を明確にすることが目的です。

法的な作成義務があるのは労働条件通知書のみであり、雇用契約書は義務ではありません。しかし、双方の合意形成を明確にし、将来的な紛争を避けるためには、「労働条件通知書 兼 雇用契約書」として一体の文書を作成し、双方が署名・捺印することが最も望ましいとされています。

雇用契約書がない場合に考えられるリスク

労働条件に関する認識のずれとトラブル

雇用契約書がない場合、最も頻繁に発生するのが労働条件に関する認識のずれです。口頭での合意は記録に残りにくく、時間が経過するにつれて記憶が曖昧になったり、解釈に違いが生じたりすることが少なくありません。

例えば、「求人情報に記載されていた給与額と実際に提示された額が違う」「残業代が支払われない」「聞いていた業務内容と全く異なる仕事をさせられている」といったトラブルが挙げられます。書面による明確な証拠がないため、このような問題が発生した際に、自分の主張を裏付けることが難しくなります。結果として、労働者は不利益を被る可能性が高まり、精神的な負担も大きくなるでしょう。

固定残業代の無効化リスク

固定残業代(みなし残業代)制度を導入している企業において、雇用契約書がないことは大きなリスクとなります。固定残業代を有効とするためには、労働契約において、固定残業代として支払われる金額や、それが何時間分の残業に相当するのかなどを明確に合意し、明記しておく必要があります。

もし雇用契約書にこれらの詳細が明記されていなかった場合、裁判などで固定残業代が無効と判断される可能性があります。そうなると、企業は過去に遡って未払い残業代の支払いを命じられることになり、多額の追加支払いが発生するリスクを抱えることになります。

労働者側からしても、自分がどれくらいの残業をすれば固定残業代の範囲を超えるのかが不明確になり、不当に働かされていると感じる原因にもなりかねません。書面による明確な取り決めが、双方の信頼関係を維持するためにも不可欠です。

有期雇用契約における雇い止めトラブル

有期雇用契約、特にパート・アルバイトの雇用形態で雇用契約書がない場合、契約期間や更新の基準が不明確になり、雇い止めに関するトラブルに発展しやすいというリスクがあります。

「契約を更新してもらえると思っていたのに、一方的に更新を拒否された」「更新の判断基準が曖昧で、不透明な理由で雇い止めされた」といったケースが典型です。労働者としては、次の仕事を探すための準備期間もなく、突然職を失うことになりかねません。

また、有期雇用契約には「無期転換ルール」という、通算5年を超えて契約更新された場合に労働者が無期雇用への転換を申し込める制度があります。しかし、雇用契約書や労働条件通知書に契約期間や更新の上限、無期転換申込機会が明記されていないと、労働者自身がこの権利を知らずに不利益を被ることもあり得ます。雇い止めトラブルを避けるためにも、書面による契約内容の明確化が重要です。

パート・アルバイトでも雇用契約書は必要?

パート・アルバイト特有の確認ポイント

パート・アルバイトの場合も、雇用契約書または労働条件通知書は非常に重要です。正社員と比較して、労働時間や勤務形態が柔軟な分、特に書面での明確化が求められます。

まず、「労働時間の明確化」です。シフト制で勤務時間が変動する場合でも、具体的な取り決め(週何時間、どの曜日・時間帯に働くかなど)を明確にしておくことがトラブル防止に繋がります。次に、「賃金の明確化」。最低賃金を下回っていないか、昇給や賞与の有無、計算方法などを確認しましょう。

さらに、「社会保険・労働保険の適用」も重要です。加入条件を満たしているにもかかわらず未加入となっていないかを確認する必要があります。最後に、有期雇用契約の場合、「無期転換ルールへの対応」として、契約更新の有無や判断基準、更新上限などを明記しておくことが望ましいです。

無期転換ルールと雇い止めへの影響

パート・アルバイトなどの有期雇用契約労働者にとって、「無期転換ルール」は特に重要な制度です。これは、有期労働契約が通算5年を超えて更新された場合、労働者が申し込むことで期間の定めのない労働契約(無期雇用契約)に転換できるというものです。

雇用契約書がない、または内容が不十分だと、労働者自身が無期転換の権利があることを知らずに過ごしてしまう可能性があります。また、企業側が雇い止めを検討する際、契約更新の判断基準や更新回数の上限が書面で明確になっていないと、不当な雇い止めとしてトラブルに発展するリスクが高まります。

2024年4月からは、すべての労働者に対して就業場所・業務内容の変更の範囲、有期契約労働者には更新上限の有無と内容、無期転換申込機会を明示することが義務付けられています。これらの情報が書面で明示されていない場合、企業は法令違反となるため、労働者側も積極的に確認すべき事項です。</

正社員との法的保護の違いと注意点

「正社員ではないから、雇用契約書がなくても仕方ない」と考える方もいるかもしれませんが、これは間違いです。労働基準法をはじめとする労働関係法令は、原則として雇用形態に関わらずすべての労働者に適用されます。

そのため、パート・アルバイトだからといって、正社員よりも法的な保護が劣るということはありません。労働条件通知書の交付義務も、雇用契約書がないことによるリスクも、正社員と同様に存在します。しかし、実態としてパート・アルバイトは労働条件が細かく変動しやすく、口頭での取り決めが多くなりがちです。

参考情報にもあるように、2021年度のデータでは、非正規雇用労働者の割合は男性21.8%、女性53.6%と女性で特に高く、高齢者層を中心に上昇傾向にあります。多くの人が非正規雇用で働いているからこそ、自分の労働条件を明確にするための書面(労働条件通知書や雇用契約書)は、より一層重要な意味を持ちます。

雇用契約書なしで辞める場合、給料未払いは?

雇用契約書がなくても給料支払い義務はある

「雇用契約書がないから、もし辞めたら給料がもらえないのでは?」と不安に感じる方もいるかもしれませんが、その心配は基本的に不要です。

前述の通り、雇用契約は口頭での合意でも成立します。あなたが実際に労働を提供し、会社がその労働を受け入れたのであれば、その分の賃金を支払う義務が会社には発生します。雇用契約書はあくまで契約内容を明確にするための書類であり、給料支払いの義務そのものとは直接関係ありません。

仮に雇用契約書がなくても、実際に働いたという事実があれば、会社は労働基準法に基づき、賃金を支払わなければなりません。もし未払いが発生した場合は、後述する対処法を参考に、適切な対応を取るようにしましょう。タイムカードの記録や業務日報、出勤簿、メールのやり取りなどが、働いたことの証拠となります。

退職時の手続きと注意点

雇用契約書がない状態で退職する場合も、基本的な手続きは変わりませんが、いくつか注意すべき点があります。

まず、退職の意思表示です。口頭でも可能ですが、後々のトラブルを防ぐためにも、退職届を提出するか、メールや書面で退職の意思を明確に伝えることをお強く推奨します。これにより、退職日の認識のずれや、「聞いていない」といった事態を避けることができます。

次に、有給休暇の消化です。有給休暇の残日数を確認し、消化を希望する場合は早めに会社に申請しましょう。退職時に未消化の有給休暇分の買い取りを交渉することも可能ですが、法的な義務ではないため、会社が応じない場合もあります。

最後に、離職票や源泉徴収票などの書類の請求です。これらは次の転職先や失業保険の申請に必要となる重要な書類であり、会社には発行義務があります。退職前に発行の依頼をしておくとスムーズです。

未払い賃金が発生した場合の対処法

もし雇用契約書がない状態で退職し、給料の未払いや残業代の未払いが発生してしまった場合は、以下の手順で対処を検討しましょう。

  1. まずは雇用主への交渉: 口頭や書面で、未払い分の賃金を請求します。内容証明郵便を利用すると、相手に届いたことを証明できるため、有力な証拠となります。
  2. 労働基準監督署への相談: 労働基準監督署は、労働者の権利保護を目的とした行政機関です。未払い賃金の問題について相談し、必要であれば行政指導や勧告を会社に出してもらうことができます。
  3. 弁護士への相談: 状況が複雑な場合や、会社が話し合いに応じない場合は、労働問題に詳しい弁護士に相談し、法的手段(労働審判や少額訴訟など)の検討も視野に入れることになります。

これらの手続きを進めるにあたって、出勤簿、タイムカード、給与明細、業務に関するメールやチャット履歴など、あなたが実際に働いたことを証明できる資料をできるだけ多く集めておくことが重要です。これらの証拠が、あなたの主張を裏付ける大きな力となります。

雇用契約書がない時の対処法と注意点

まずは労働条件通知書の内容を確認する

雇用契約書が手元にない場合でも、雇用主には「労働条件通知書」を交付する法的義務があります。この労働条件通知書は、あなたの最低限の労働条件を記した最も重要な書類となります。まずは、この書類が交付されているかを確認し、その内容を隅々まで詳細にチェックしましょう。

具体的には、以下の点に注目してください。

  • 賃金: 基本給、諸手当、残業代の計算方法、支払い方法。
  • 労働時間: 所定労働時間、休憩時間、休日、時間外労働の有無。
  • 就業場所・業務内容: 実際の勤務地や担当業務、2024年4月からの変更範囲の明示
  • 契約期間: 有期雇用の場合、契約期間の開始・終了日、更新の有無、判断基準、更新上限の有無と内容
  • 無期転換申込機会: 有期雇用の場合、無期転換の機会が明記されているか。

もし内容に不明な点や疑問があれば、必ず雇用主に質問し、明確な回答を得るようにしてください。疑問を放置すると、将来的なトラブルの原因となりかねません。

雇用主への確認と情報収集

労働条件通知書の内容を確認したら、次に雇用主に対して直接、以下の点を確認してみましょう。

  1. 雇用契約書がない理由: なぜ雇用契約書が作成されていないのか、その理由を尋ねてみてください。
  2. 今後の作成予定: 今後、雇用契約書を作成する予定があるのかどうかを確認します。
  3. 口頭合意の記録: もし口頭で労働条件の合意をしている場合は、その内容をメモやメールで記録しておくことが非常に重要です。例えば、「〇月〇日のミーティングで、時給1,300円、週3日勤務で合意した」といった形で記録を残しておくと、後々の証拠として役立ちます。

また、企業によっては、2019年の法改正により労働者の合意があれば雇用契約書や労働条件通知書を電子化することも可能になりました。電子契約システムを導入している場合もあるので、その可能性も探ってみましょう。これらの積極的な情報収集が、ご自身の権利を守る第一歩となります。

専門機関への相談と法的手段の検討

雇用主との話し合いで問題が解決しない場合や、具体的なトラブルが発生してしまった場合は、一人で抱え込まず、外部の専門機関に相談することを検討しましょう。

相談先としては、以下のような機関があります。

  • 労働基準監督署: 労働基準法違反の疑いがある場合、相談に乗ってくれます。
  • 各都道府県の労働相談窓口: 労働者と使用者間のトラブルについて、無料で相談に応じてくれます。
  • 弁護士: 労働問題に詳しい弁護士に相談すれば、法的なアドバイスを受けられます。必要に応じて、会社との交渉や労働審判、訴訟などの法的手段を講じることも検討できます。
  • ハローワーク: 失業給付の手続きだけでなく、職業相談や求人情報の提供も行っています。

これらの機関は、あなたの状況に応じた具体的なアドバイスやサポートを提供してくれます。自身の権利を守るためにも、躊躇せずに専門家の力を借りることが重要です。雇用契約書がない状況でも、焦らず冷静に対応し、適切な行動をとっていきましょう。